【必読ポイント】 手放す
表現を怖がらなくていい
子どもの頃は、誰もがクレヨンの画家であり、粘土の彫刻家であり、前衛の作詞家あるいは作曲家である。しかし大人になるとそれを続けている人はごく一部となり、やめてしまう人が大半となる。
自信がない、表現活動は天才クリエイターの特権である、自分には恐れ多い、うまくできない、センスがない、オリジナリティがない、他の人のほうが上手いのだから意味がない、難しそうだ――こういった言葉の背後には、次のような思い込みがあるだろう。表現は0→1を行うものだ、高い技術や品質が必須である、その道における天才でなくてはならない、自分だけのオリジナリティ・個性が必要、専門性を持っているべきである――これらを疑いようのない事実のように感じる人もいるかもしれないが、実際には偏狭な創作観にすぎない。ところがこうした創作観は、しばしば亡霊のようにつきまとい、我々を表現から遠ざけてしまう。多くの人はこうした創作観に縛られ、自らに備わった創造性を忘れ、自分とはかかわりのないものだと思いこんでしまう。だが、手を動かして自分らしい生き方を取り戻す道は、誰にでも開かれているのだ。
表現とは

表現とはすなわち「外に出すこと」である。英語で「表現」を意味する「expression」という単語が「ex 外へ」+「press 押し出す」で構成されているように、人が発信するすべての情報は本来表現だといえる。たとえば日本国語大辞典には、表現は「外にあらわれること。また、外にあらわすこと」と書かれている。意図しないものであっても表現たりうるのである。
さらにいえば、人は存在するだけで他者との関係を持つし、会話をすれば互いに気づきを与え合うこともある。「存在」はふつう動きを伴う行為としては捉えられないが、たとえば悲しんでいる人とただ同じ部屋にいるだけでも心の支えになりうると考えれば、存在ですら表現といえる。ゆえに、表現とは「人の存在や行為に起因して生じる変化」と定義することもできるだろう。




















