大きな地震の直前に珍しい形状の雲が現れたら、それを「地震雲」だと思いこむ。気象学の専門家が「地震とは関係ない」と折に触れて指摘しても、大地震のたびに話題にのぼる。単なる「偶然の一致」にしかすぎないものに、人間の脳は「過剰な意味を読み込んでしまう」のだ。
しかも、そうして際立った出来事が連続して起こると、それらを物語でつないでしまう。滅多に夢を見ない人が祖母の夢を見た直後、当の祖母が亡くなったという報せが入ったら、あれは夢枕に立ったのだという物語を描きたくなるのが人情だろう。
このような「『偶然の一致』とは思いたくない人間の心理から陰謀論が生まれてくる」のである。ここで陰謀論は、「出来事の原因を誰かの陰謀であると不確かな根拠をもとに決めつける考え方」と定義される。この意味では、誰にも陰謀論の萌芽はあるし、心当たりのある人も少なくないはずだ。陰謀論は、過激な少数派のものだけではない。ケネディ暗殺陰謀論のように、誰もがいつでも信じかねない「多数派の陰謀論」もあるのだ。
こうした陰謀論はなぜ生まれるのかについて、本書では2つの仮説を検討する。
1つは、「世界をシンプルに解釈したいという欲望を人間が持っている」ということだ。私たちが生きる現実は複雑で不確実なものであり、自分たちの存在そのものの根拠すら曖昧である。一般的な人間の精神は、そのありのままの現実に耐えられるようにはできていない。だから、「意味」や「物語」を求めてしまう。したがって、現代社会の諸問題は、善人たちの行動がもたらす「意図せざる結果」とは考えられず、背後に「諸悪の根源」がいると思いたがるのだ。
もう1つの仮説は、「何か大事なものを『奪われる』感覚が陰謀論を誘発する」ことである。大事なものや、何をもって「奪われた」と感じるかは人によって異なる。しかし、テロや自然災害、産業事故、戦争のように多くの人命が不条理に失われる出来事が起きると、ほぼ確実に陰謀論が生まれる。また、宗教、人種、階級などの深刻な分断によって、みずからの大事な何かが敵対勢力に「奪われる」脅威があるときも、陰謀論は生じやすい。
ニセ科学や虚偽を暴くデバンカーであり、科学ジャーナリストのミック・ウェストは、「陰謀論のスペクトラム」という考え方を提示した。これは、ある陰謀論についてどの部分に同意しているかが、人によってまったく異なっていることを示すものだ。たとえば9.11の場合、「事前にアメリカ政府がテロの関連情報を知っていたのに有効な手を打たなかった」という部分だけを信じている人から、「衝突した飛行機が実はホログラムで映し出された映像」などと考える人まで、大きな差がある。
このスペクトラムのなかで、「常識的な考え方と非常識な考え方とを分け隔てる境界線をどこに引くのが適切か」についての判断が肝要なのだ。この境界は、時代や状況の変化にあわせて変わっていくが、いずれにせよ境界線の向こう側は「筋金入りの陰謀論者」、トンデモな人とされるわけである。
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